第14回「大学時代 ③」


 皆さん、こんにちは。「くのいち」ことクノテツヤです。

 さて、すでに2回にわたってお送りしてきた大学時代の音楽遍歴ですが、紹介しきれなかった曲がまだ山ほどあるのです……こんなことを言い出したらキリはないのですが、今回、もう1回だけ、僕の大学時代の音楽遍歴にお付き合いください。

 それでは、早速いってみたいと思います。

―1曲目―

 イントロの、光がこぼれ落ちてくるような美しいストリングスが流れてきた瞬間、ノスタルジックでロマンチックな世界が心の中に広がります。いつ何度聴いても、初めて聴いたときのときめきがよみがえってくる、そんな素敵な曲です。聴いてください。

 この曲は、1984年にザ・ハニードリッパーズが発表したミニ・アルバム「ヴォリューム・ワン」からシングル・カットされ、全米3位という大ヒットを記録しました。オリジナルは、フィル・フィリップスというアメリカの歌手/ソングライターが1959年に発表して、全米2位の大ヒットを記録、多くのミュージシャンにカバーされているオールディーズの名曲です。

 このザ・ハニードリッパーズというグループは、レッド・ツェッペリンのロバート・プラント、ジミー・ペイジに加え、孤高のギタリスト ジェフ・ベック、そしてシックのナイル・ロジャースが結成したオールディーズのカバー・バンドです。ロバート・プラント中心の一時的な趣味のバンドということですが、名前を聞いただけで頭がクラクラするすごい顔ぶれです。
しかも、これだけのメンツが揃って、演っている音楽がハード・ロックとかではなくオールディーズというのが洒落ているというか……こちらの期待も分かっているくせに、ちょっといけずだと思います。
そんなことを言いながらも、ロバート・プラントのあの甘い声でこんな美しいバラードを歌われたら、抵抗など出来るはずもなく、あっさり降参、身も心もすっかりメロメロです。

―2曲目―

 何も用事がなくて、一人で下宿にいるときは、よくFEN(Far East Network「極東放送網」の略。在日米軍向け放送のことで、1997年AFNに改称。)のラジオ放送を流しっ放しにして過ごしていました。
ある晴れた日のこと、FENから流れてきたある曲を聴いたとき、パァッと心に浮かんだ風景があります。その風景は、日差しに溢れた部屋の景色と共に、今でも脳裏に焼き付いています。聴いてください。

 この曲は、フリー3作目のアルバム「ファイアー・アンド・ウォーター」からの先行シングルとして1970年に発表され、全英第2位という大ヒットを記録しました。アメリカでもトップ40入りを果たした、彼らの代表曲です。

 「オール・ライト・ナウ」はもともと好きな曲だったのですが、何がどう結びついたのか、あのとき頭に浮かんだのは、果てしなく広がる青空の下、強い日差しを浴びながら、アメリカの広大な大地をはるか彼方の地平線を目指して進んでいく、そんなロードムービーのいち場面のような風景でした。
 フリーはイギリスのバンドなのに、どうして頭に浮かんだイメージがアメリカだったのかよく分かりませんが、今でもこの曲を聴くたびに、あのときの風景が心によみがえってきます。

―3曲目―

 この曲を初めて聴いたとき、オールディーズでもないのに、胸の中が、甘く切ない懐かしい気持ちで満たされていくのを感じました。かつてフィル・スペクターが産み出した音の魔法「ウォール・オブ・サウンド」、その流れを汲んだ極上のポップ・ソングです。聴いてください。

 この曲は、1984年に発表した7作目のアルバム「アンモニア・アヴェニュー」からシングル・カットされ、全米15位のヒットを記録しました。

 このグループの中心人物であるアラン・パーソンズは、あの有名なアビー・ロード・スタジオでエンジニアをしていた方で、ザ・ビートルズやピンク・フロイドをはじめとする数多くのバンド/ミュージシャンの作品に関わってきた、ロックの歴史における重要人物のひとりです。こうした背景を知ると、色々な想像が広がり、音楽の聴こえ方が違ってくるのがまた楽しいところです。
 この曲で忘れられないのは、アメコミ風のアニメーションによるPV(プロモーション・ビデオ)です。曲調に見事にハマっていて、甘く切ないノスタルジックな気分をさらに盛り上げてくれます。

―4曲目―

 当時、あるミュージシャンの変わりようにショックを受けた僕にとっては、この曲が唯一の救いでした。聴いてください。

 これは、「サムデイ」を大ヒットさせた佐野元春さんが、約1年間のNY生活を経て、帰国後の1984年に発表した4作目のアルバム「ヴィジターズ」からのシングル曲です。

 佐野元春さんがNYで直に触れたヒップホップ・シーンの刺激と影響が、「ヴィジターズ」という革新的なアルバムを生み出した、と言われていますが、当時の僕は、いきなり耳に飛び込んできた「コンプリケーション・ブレイクダウン」という曲を受け入れることが出来ませんでした。そして、佐野元春さんが、当時ラジオなどで時々耳にしていたラップ、ヒップホップという、得体のしれない流行りの音楽らしきものをやり始めたことにショックを受けていました。
 あれから約40年が過ぎた現在は、この「ヴィジターズ」というアルバムを、とても真っすぐでオールドスクールなヒップホップ・ミュージックとして、何の違和感もなく聴くことが出来ます。
考えてみれば、初めから佐野元春さんは「ストリート」を歌う人だったわけで、当時最先端のストリート文化であるヒップホップへの接近は当然のことだった、と今は理解できます。
 つい最近、あらためて「ヴィジターズ」を聴いてみたのですが、「何てロマンチックなアルバムなんだろう……」としみじみ思いました。

 ところで、アルバム「ヴィジターズ」の中では、ちゃんと歌メロがあって、従来のイメージに最も近かったこの「トゥナイト」という曲ですが、先日久しぶりに聴いたとき、NYに拠点を移したジョー・ジャクソンが1982年に発表した「ステッピン・アウト」という曲と同じ匂いを感じました。
時代によって音楽やカルチャー等のシーンが移り変わっても、NYという街そのものが持つ独特の匂いはいつの時代もきっと変わらないんだろうな……なんて、NYに行ったこともないくせに、僕は勝手に想像してみたりするのでした。

―5曲目―

 大ヒットした後に出すシングルやアルバムは、ミュージシャンにとって悩ましいものだと思います。それまでと変わらず我が道を進むのか、それとも次のヒットを狙って成功体験をなぞるのか……。
 高校時代から好きだったアメリカのハード・ロック・バンドが、大ヒットの後に出したアルバムがあるのですが、やはり、なかなか際どいバランスで作られていました。
ハード・ロック色が薄れてしまったのは残念だったけれど、個人的には結構お気に入りで、当時よく聴いた1枚です。その中でも特に印象に残っている、大好きな曲があります。聴いてください。

 これは、1985年に発表した3枚目のアルバム「7ウィッシーズ」に収録されている、かなり地味な曲ですが、彼らの曲に共通するメロディの良さが、抑えの効いたアレンジのお陰で、より引き立てられているように思います。
 この曲は、暗くもの憂げなムードで始まりますが、サビに向けて倍テン(=倍のテンポ)になるブリッジ部分では、浮遊感のあるメロディに全身が包み込まれ、迎えるサビ部分では、切なく憂いのあるメロディと共に心が解き放たれていくような感覚を覚えます。ところが、その先までスカッと突き抜けていくようなことには決してならないのです。
こんな調子で、とにかく地味な印象の曲ですが、聴いていると、胸をチクッと刺すような心地良い痛みを感じます。そして気が付けば、またこの曲を聴きたくなっている自分がいるのです。

―6曲目―

 僕のようにモテない男子は、こういう曲を聴いて、悶々とした青春を笑い飛ばすことくらいしか出来ませんでした。でも、それがひとつの救いにもなっていたのです。聴いてください。

 これは、1986年に爆風スランプが発表したシングル「青春の役立たず」のB面に収録されている曲ですが、個人的には、完全にA面を超えた傑作だと思っています。
 実のところ、どういう経緯でこのシングルを買ったのかよく覚えていないのですが、この曲に巡り合えたことだけでも、このレコードを買った甲斐は十分すぎるくらいあるので、理由はどうであれ「よく買ったな‼」と、自分を褒めてあげたい気分です。

 この曲、家の人が留守のときに女の子を部屋によんで、隙あらば唇を奪おうとするんだけれど、泣かれるわ、叩かれるわで、ひたすら謝る……そんな情けない男子の姿を歌っています。
いまの時代においては、それこそ“不適切にもほどがある”内容かもしれませんが、こんな風に、どうしようもなくカッコ悪くてみっともない姿も、ひとつのリアルな青春だと思うのです。とは言え、この曲に出てくるような状況すら縁の無かった僕の青春って……。

―7曲目―

 初めて聴いた瞬間に「これ!これ!」と思わず叫びたくなるような、文句なしにカッコいい曲との出会いが、最近すっかり減ってしまいましたが、大学時代は、そんなしびれる曲との数多くの出逢いに、ドキドキ・ワクワクの日々を送っていました。
これも、初めて聴いた瞬間に脳天を突き抜けるような興奮を覚えた、最高にいかした1曲です。聴いてください。

 この曲は、1986年に発表されたシンデレラのデビュー・アルバム「ナイトソングス」からのセカンド・シングルです。恥ずかしながら、「サムバディ・セイヴ・ミー」がファースト・シングルだったとはつい最近まで知りませんでした……。

 「シェイク・ミー」ですっかりシンデレラにのめり込んだ僕は、帰省中、アルバムを買いに地元のレコード屋さんへ行ったのですが……見つかりません。しかも、置いてあった形跡すらありません。近場から順に巡っていき、辿り着いたのは、家から5㎞ほど離れた駅前商店街の一番端っこにあるレコード屋さん。ようやく、そこで1枚だけ見つけることが出来ました。即買いです。
 地方では、新譜だからといって、必ずしもすぐ店頭に並ぶとは限りません。特に洋楽の新人バンド/アーティストだと、余程の話題にでもなっていなければ、何軒もハシゴする覚悟が必要です。レコード屋さんにいること自体が好きなので、店巡りはまったく苦にならないのですが、結局どこにも置いてなくて手ぶらで帰宅……という最悪の事態を何度も経験しているので、地元で新譜を買うときは、違う意味でいつもドキドキでした。

 話は変わりますが、この「シェイク・ミー」のPVで目にした「ギター回し」のカッコ良さは衝撃的でした。ギターを左斜め上(右利きの場合)にボディを持ち上げて背中側に回すのは、それまでにも見たことはあったのですが、シンデレラの場合、ヘッドを右手で逆手につかみ、右斜め下に振り下ろすような感じで、ギターを下から背中側に回して、見事にクルリと一回転させていたのです。しかも、ギターとベースが揃って、この「ギター回し」を決めまくる姿があまりにもカッコ良くて、ギターを弾かない僕もこれにはしびれました。もし僕がギターをやっていたら、間違いなく真似したと思います。

―8曲目―

 そのバンドの存在は「BURRN!」でデビュー当時から知っていましたが、まさかこんな凄いバンドになるとは夢にも思いませんでした。
 1986年、全米における驚異的なチャート・アクションのニュースを耳にして、「一体どんなバンドなんだろう?」と興味津々、かつ怖いもの見たさ(聴きたさ)でアルバムを買ったのですが……想像をはるかに超えるカッコ良さに大きな衝撃を受けました。聴いてください。

 この曲は、1986年に発表されたメタリカ3作目のアルバム「メタル・マスター(原題:Master Of Puppets)」のオープニングを飾る彼らの代表曲であり、HR/HMにおける名曲のひとつです。

 このアルバムを初めて聴いたとき、それまでメタリカに対して「スラッシュ・メタル」という言葉から勝手に抱いていたイメージは、木っ端微塵に吹き飛びました。
速さ一辺倒ではなく、緩急を巧みに操って繰り広げられるドラマチックな構成、印象的でカッコいいリフの嵐、太く、重く、厚い、迫力ある音像……を耳にして、これは突然変異とかではなく、これまでHR/HMが歩んできた歴史を踏まえた、正当な発展形なんだと感じました。
 その後、5作目の通称「ブラック・アルバム(原題:Metallica)」でケタ違いの大成功をおさめたメタリカは、もはやHR/HMの範疇だけでは語れない、途方もなく大きな存在となってしまいました。
続く「ロード」「リロード」では、少し色気が出て(見た目もちょっとお洒落になって……)、寄り道(?)もしたけれど、どれだけ大きな存在になっても、決して日和ることなく、威風堂々とHR/HMの道を突き進む姿は、僕らファンの目にたまらなく眩しく映ります。

―9曲目―

 このアルバムを聴くと、暗黒時代を過ごした母校での教育実習をなぜか思い出します。結局、教職の道には進まなかったけれど、落ちこぼれだった自分が教壇に立つという貴重な体験でした。
細かいことは忘れてしまいましたが、生徒に「先生、目が笑ってない」と言われたことだけは、今でもはっきり覚えています。相当緊張していたのでしょう……。
 そんな教育実習の景色を思い出させるアルバムの中に、たまらなく切なさが込み上げてくる、とても美しいお気に入りの曲があります。聴いてください。

 この曲は、1987年に発表されたデフ・レパードの4年ぶり、4作目のアルバム「ヒステリア」に収録されている珠玉のロック・バラードです。
この「ラヴ・バイツ」は、1988年8月にアルバムから5曲目のシングルとしてリリースされ、前シングル「シュガー・オン・ミー」の全米2位を超え、遂に全米1位に輝いた記念すべき曲です。

 前作アルバム「炎のターゲット(原題:Pyromania)」が大ヒットを記録して、いよいよこれから天下取りという時に、ドラマーのリック・アレンが交通事故で左腕を失うという悲劇がバンドを襲いました。しかし、リックは諦めることなく復帰の道を選び、バンドもリックを後押ししながら、復活の時を待ち続けました。やがて、有名な電子ドラム・メーカーであるシモンズ社が製作した特注ドラム・セット(左腕で叩く部分をフット・ペダルの演奏で補うことが出来るシステム)を携えて、リック・アレンはデフ・レパードのドラマーとして不死鳥のごとく戻ってきました。
 そんな紆余曲折を経て、遂に完成させた待望のアルバムは、もはやHR/HMという括りでは語れない、ジャンルを超越した普遍的な魅力に溢れていました。圧倒的な「曲の良さ」に裏打ちされた揺るぎない自信は、「ロケット」のような実験的な曲さえもヒット・シングルにしてしまう離れ業をやってのけました。最終的に、このアルバムは7曲ものヒット・シングルを生みだし、総売上3000万枚というとんでもない怪物アルバムとなったのです。

 この「ヒステリア」でデフ・レパードが到達した新しい音世界と、リック・アレンの電子ドラムの音色が、なぜこれほど自然に調和しているのか不思議な気がして、つい最近、前作「炎のターゲット」を久しぶりに聴いみたのですが、実はドラムの音色がほとんど変わっていないことに驚きました。
既に前作のサウンド・プロダクションから、進むべき未来を見据えていたということでしょうか……恐るべきバンドです。

―10曲目―

 80年代に巻き起こったHR/HMの一大ブームは、商業的な成功と引き換えに、ロックが本来持っていた毒気や反逆心といった不良性を奪い去ってしまったようでした。
しかし、いつどんな時代でも、必ず救世主は現れます。
そのバンドは、見るからにヤバそうな佇まいで、ロックの持つ危険な匂いを撒き散らしながら、僕たちの前にその姿を現しました。聴いてください。

 これは、1987年に発表されたガンズ・アンド・ローゼズのデビュー・アルバムにして歴史的大傑作「アペタイト・フォー・ディストラクション」のA面最後を飾る曲です。6分超えという長さにも関わらず、シングル・カットされて、全米5位、全英6位というヒットを記録しています。
大らかで郷愁さえ感じさせるキャッチーなサビ、ホイッスルを合図にヘヴィーなパートに突入する場面展開のカッコ良さ、曲後半にテンポアップして繰り広げられる嵐のような圧巻の演奏……と、一分のスキもない完璧な構成・展開・演奏で、最後まで一気に聴かせる、ガンズ・アンド・ローゼズの魅力が詰まった1曲です。
 レコードを聴いているだけでも、ライヴでの爆発的な盛り上がりが目に浮かびますが、ライヴ映像を使ったPVがこれまた最高で、大掛かりなストーリー、芝居、踊りや、凝った演出・映像効果など無くても、バンドが全身全霊を打ち込んで演奏を繰り広げる姿さえあれば、それだけで見る人の気持ちを何よりも強くつかむことが出来ることを、思い切り見せつけてくれました。

 この「アペタイト・フォー・ディストラクション」というアルバム、「パラダイス・シティ」をはじめ、オープニングの「ウェルカム・トゥ・ザ・ジャングル」からラストの「ロケット・クイーン」まで、収められているすべての曲に、ロックン・ロールの刺激的で危ない魅力が、最高の形で、隅々まで満ち溢れている、そんな奇跡のような1枚です。

* * *

-今回も最後までお付き合いいただき、どうもありがとうございました。
それでは、またお会いしましょう。See Ya!

ー第14回「大学時代 ③」プレイリストー

No.曲名
Song Title
アーティスト
Artist
1シー・オブ・ラヴ
Sea Of Love
ザ・ハニードリッパーズ
The Honeydrippers
2オール・ライト・ナウ
All Right Now
フリー
Free
3ドント・アンサー・ミー
Don’t Answer Me
アラン・パーソンズ・プロジェクト
Alan Parsons Project
4トゥナイト
Tonight
佐野元春
Motoharu Sano
5アイ・ウィル・フォロー・ユー
I Will Follow You
ナイト・レンジャー
Night Ranger
6青春りっしんべん
Seishun Risshinben
爆風スランプ
Bakuhu-Slump
7シェイク・ミー
Shake Me
シンデレラ
Cinderella
8バッテリー
Battery
メタリカ
Metallica
9ラヴ・バイツ
Love Bites
デフ・レパード
Def Leppard
10パラダイス・シティ
Paradise City
ガンズ・アンド・ローゼズ
Guns N’ Roses

■■