第16回「サラリーマン時代 <第1期 ①>」

※第1期:入社 ~ 清水時代(1988~1991)


 皆さん、こんにちは。「くのいち」ことクノテツヤです。

 さて、今回からは、大学を卒業してサラリーマンとなった僕が、その後どのような音楽遍歴を辿ってきたかを紹介していきたいと思います。
 1988年3月、無事に大学を卒業した僕は、地元静岡県清水市(現 静岡市清水区)の一般企業にUターン就職し、社会人としての第一歩を踏み出しました。
就職先は、大学時代に長期休暇で帰省したときにアルバイトでお世話になった地元の某総合電機メーカー(当時)の子会社です。入社後、約半年の教育・実習を経て、マニュアル等の資料を制作する部門に配属となりました。

―1曲目―

 当時は、入社してから半年間は会社の寮に入る決まりでした。寮では先輩と2人の相部屋でしたが、先輩はとても忙しい人で、寮の部屋で顔を合わせた記憶がほとんどありません。そんなわけで、寮に帰っても一人でいることが多く、そんなときはラジカセで、当時お気に入りだったアルバムをよく聴いていました。今でも、このアルバムを聴くと、寮の部屋の景色が頭に浮かびます。聴いてください。

 この曲は、ヴァン・ヘイレンの初代ヴォーカリスト、デヴィッド・リー・ロスが1988年に発表したソロ2作目のフル・アルバム「スカイスクレイパー」からのシングルで、全米6位という大ヒットを記録しています。
 この「スカイスクレイパー」というアルバムは、ド派手で豪華絢爛だった前作に比べると、キーボードの音が目立ち、小綺麗にまとまってしまった感があるため、評価も賛否分かれるところですが、個人的には、今でもふとした時に聴きたくなる大好きなアルバムです。特に、この「まるっきりパラダイス」のようにポップで爽快感あふれるキャッチーな曲には、前作のような熱くギラギラした音よりも、こういう軽やかでキラキラした音の方が似合うと思うので、これはこれで正解だったような気がします。

 ヴァン・ヘイレンを脱退したデイヴ・リー・ロスが、本格的なソロ活動開始にあたって結成したバンドは、メンバーに、フランク・ザッパ・バンド出身の天才にして変態の超絶ギタリスト スティーヴ・ヴァイ、タラスという3人組のHR/HMバンドに在籍していた、これまた超絶ベーシストのビリー・シーン(MR.BIGのベーシストといった方が絶対分かりやすいと思いますが……)、スタジオ・ドラマーとして活躍していた、テクニックに定評のあるグレッグ・ビソネット、というスーパー・プレイヤー達が揃っていて、大いに話題となりました。ただ、この夢のような布陣は長続きせず、この「スカイスクレイパー」のレコーディング直後にビリー・シーンが脱退、その後、スティーヴ・ヴァイも脱退してしまいました。以降、デイヴのソロ活動は次第に勢いを失っていくのでした。とは言え、次作の「ア・リトル・エイント・イナフ」も地味ながらいいアルバムで、かなり気に入っていたのですが……残念。

―2曲目―

 80年代後半から90年代にかけて、ミクスチャー・ロックと呼ばれる、ヒップホップやファンクなど様々なジャンルの音楽要素を融合した新しいタイプのロックが盛り上がりを見せていました。僕の場合、HR/HMからの流れで興味を持ったのですが、このバンドには衝撃を受けました。聴いてください。

 この曲は、レッド・ホット・チリ・ペッパーズが1989年に発表した4作目のアルバム「母乳(原題:Mother’s Milk)」に収録されている曲で、当時のレッチリが持っていたハチャメチャで爆発寸前(この曲の終わりでは本当に爆発していますが……)の凄まじいエネルギーと勢いがビンビンに伝わってくる、僕の大好きな1曲です。
 この「母乳」というアルバムは、レッチリの全アルバムの中でも、特に思い入れのある忘れられない1枚です。その後影を潜めていくハード・ロック的な要素が強く感じられる点などは、まさに僕好みと言えるのですが、このアルバムの魅力はそれだけに留まりません。
このアルバムには、当時の僕にはまだあまり馴染みのなかった、パンク、ファンク、ヒップホップといった様々な音楽がグシャグシャに混じり合った、何やら得体の知れない未知の世界がありました。そして、それは僕にとって衝撃的であると同時に、何だか笑ってしまうほど面白く、刺激的で、久しぶりに胸がドキドキ・ワクワクするのを感じました。

―3曲目―

 80年代後半から90年代初頭にかけては、まだまだHR/HM界においても、若くて活きのいい新人バンドが次々に登場していました。その中に、新人らしからぬ存在感と、圧倒的な曲のカッコ良さで一気にブレイクしたバンドがいました。聴いてください。

 この曲は、1989年に発表されたスキッド・ロウのデビュー・アルバム「スキッド・ロウ」に収録されている、ワイルドで疾走感あふれる、僕の大好きな1曲です。
 スキッド・ロウは、バンドのリーダーであるデイヴ“スネイク”セイボが、ジョン・ボン・ジョヴィの幼なじみだったことから、デビューに際しては、ボン・ジョヴィの弟分として、様々なサポートを受けたとのことです。でも、それは、ボン・ジョヴィ側が、スキッド・ロウの持つ強烈なオリジナリティに大いなる可能性を見出したからこそで、その期待に見事に応え、スキッド・ロウは大ブレイクします。
 フロントマンであるヴォーカルのセバスチャン・バックは、190㎝超えの長身に、端正で可愛らしい顔立ち、だけどやることはハチャメチャな悪ガキ、という愛すべきキャラクターで、圧倒的な人気を誇っていましたが、僕が一番好きだったのは、バンドの中心メンバーであるベースのレイチェル・ボランでした。インパクト抜群のチェーン付き鼻ピアス、そして男らしい硬派な佇まいに、すっかり惚れ込んでしまいました。さらに、極私的なことですが、ちょっと他人とは思えない共通点を見つけた時点で、僕のレイチェル・ボラン愛は揺るぎないものとなりました。
 余談ですが、このスキッド・ロウのデビュー・アルバムは、僕が生まれて初めて買ったCDとしても、忘れられない1枚です。それまで、ずっと新譜もアナログ・レコードに拘って買い続けてきたのですが、このアルバムは、レコードが発売されず、CDリリースのみだったのです。この時味わった寂しさと悔しさは、忘れることが出来ません。

―4曲目―

 お次は、スキッド・ロウと同じ頃にデビューして、実力は間違いないのに、運に恵まれず、残念ながらブレイクには至らなかった、ちょっと悲しい運命を辿った、僕のお気に入りのバンドです。聴いてください。

 この曲は、シカゴ出身の4人組ロック・バンド イナフ・ズナフが1989年に発表したデビュー・アルバム「イナフ・ズナフ」の冒頭を飾る、彼らの魅力全開の、甘く切ないメロディが印象的なパワー・ポップの傑作とも言える1曲です。シングルとしても、全米67位というスマッシュ・ヒットを記録しました。
 よく同郷のチープ・トリックが引き合いに出されるのですが、それほどまでに、イナフ・ズナフの躍動するポップ感覚と美しいメロディ・センスは、聴く者の心を震わせる素晴らしいものでした。それが、どうしてこんな目に合わなくてはいけなかったのか……。
 有名な話ですが、イナフ・ズナフは、デビュー当時、幸運にもエアロスミスのサポート・アクトに抜擢され、ツアーに同行する予定でした。ところが、当時流行りの派手でケバい化粧をしていたことが仇となり、その話はご破算となって、イナフ・ズナフは千載一遇のチャンスを逃してしまいます。
僕は今でも、この時、予定通りエアロスミスのツアーに同行していたら、僕の大好きなイナフ・ズナフのその後の運命は一体どうなっていたんだろう……そんなことをつい考えてしまいます。
そして、そのたびに、見た目だけでイナフ・ズナフをサポートから外したエアロスミスのことを、ちょっと恨めしく思うのです。

―5曲目―

 メジャー契約を果たし、いよいよ全米進出という矢先に、不慮の事故でドラマーを失い、1985年に解散してしまった北欧のロックン・ロール・バンドがいました。
 その伝説のバンドからの影響を公言して憚らないガンズ・アンド・ローゼズやスキッド・ロウなどの後続達が大活躍する中、本家であるそのバンドのフロントマンが、胸のすくような素晴らしいソロ・アルバムを届けてくれました。聴いてください。

 この曲は、ハノイ・ロックス解散後のマイケル・モンローが、1989年に発表したソロ2作目のアルバム「ノット・フェイキン・イット」に収録されている、気分爆上がりの1曲です。
ベスト・アルバムに収録されるような有名な曲ではありませんが、初めて聴いたときから、この曲は僕の心を鷲掴みにして放しません。今でも、マイケル・モンローのマイ・ベスト・ソングは、この曲で決まりです。タイトルの「愛は血よりも濃い」というフレーズには、思わず胸が熱くなります。
 マイケル・モンローはこの後、スティーヴ・スティーヴンスと組んだ「エルサレム・スリム」や、ハノイ・ロックス時代の盟友サム・ヤッファも参加した「デモリション23」といったバンドを結成しましたが、残念ながらいずれも短命に終わってしまいました。しかし、その後も、ハノイ・ロックスを復活させたり、「マイケル・モンロー」という自らの名前を冠したバンドを結成したりと、63歳になった現在まで精力的に活動を続けていて、まだまだ楽しみは尽きません。

―6曲目―

 80年代の終わり頃から90年にかけては、世界的にもまだHR/HMが盛り上がっていた夢のような時代でした。そして、この時期に多くのHR/HMバンドが、のちに最高傑作と呼ばれるような充実した作品を発表しています。僕の大好きなこのバンドも文句なしの大傑作を届けてくれました。聴いてください。

 モトリー・クルーが1989年に発表した5作目の傑作アルバム「ドクター・フィールグッド」からお送りしました。名曲揃いのこのアルバムの中にあっては、あまり取り上げられることのない曲ですが、初めてこのアルバムを聴いたときから、ずっと僕のお気に入りでした。
数あるモトリー・クルーの代表曲・名曲達と比べれば、特に傑出した部分があるわけでもないのですが、曲の隅々にまで満ち溢れている、モトリー・クルーらしいルーズで猥雑な感じがたまりません。
そして、何と言っても、この曲の僕にとっての一番の「ツボ」は、曲後半のブレイク後に出てくる効果音です。「シーズ・ゴーイング・ダウン」というだけあって、僕にはジッパーを下ろす音に聞こえるのですが……。思わずニヤッとさせるこの辺りのセンスが最高です。

―7曲目―

 80年代の終わり頃から90年にかけては、70年代から活動を続けているベテランのHR/HMバンドが驚くほど大活躍した時期でもありました。このバンドも、期待を遥かに超える傑作アルバムを生み出して、僕たちファンを大いに喜ばせてくれました。聴いてください。

 この曲は、1989年に発表されたエアロスミス10作目のアルバム「パンプ」の冒頭を飾る、何とも若々しく溌剌とした、勢いとエネルギーに満ち溢れた1曲です。
 前々作「ダン・ウィズ・ミラーズ」でオリジナル・メンバーが復活、RUN D.M.C.がカバーした「ウォーク・ジス・ウェイ」の大ヒットで再び注目を集め、前作「パーマネント・ヴァケイション」でセールス面においても完全復活を遂げたエアロスミスでしたが、個人的には「パーマネント・ヴァケイション」は音がゴージャスすぎて、ちょっと胃もたれ気味になっていたのです。そこに、満を持して登場したのが、この傑作アルバム「パンプ」です。
 アルバム1曲目の「ヤング・ラスト」を聴いたときの驚きと喜びは、言葉では言い表せません。まるで、鍛え抜かれたアスリートの、無駄のない、しなやかで美しい身体が躍動する姿を見ているようで、あまりの感激にカラダが震えました。
 そして、エアロスミスは二度目の黄金期を迎えるのでした。

―8曲目―

 1974年にレコード・デビューしたこのベテラン・バンドも、ここにきて、バンド史上最も熱く激しい傑作アルバムを生み出し、久々にファンを熱狂の渦に叩き込んでくれました。
中でも極めつけだったのは、アルバムの幕開けを飾る1曲。衝撃のドラム・イントロに誰もがぶっ飛びました。聴いてください。

 この曲は、1990年に発表されたジューダス・プリースト12作目の傑作アルバム「ペインキラー」のタイトル・チューンです。アルバム冒頭に鎮座するこの曲は、皆の度肝を抜く圧倒的な破壊力で、王者ジューダス・プリーストの帰還を高らかに告げ、新たな歴史の幕開けを宣言した、HR/HM史に残る最強の1曲です。
 ずっとジューダス・プリーストに憧れていた元レーサーXのスコット・トラヴィスという強力なドラマーを得て、新たに生まれ変わったジューダス・プリーストが、この「ペインキラー」というアルバムで見せた演奏面の充実ぶりは、驚異的なものがありました。そして何よりも、楽曲面の圧倒的な充実度・完成度に加え、アルバムの完璧な構成美は、感動的ですらありました。最初から最後まで、息つく暇のない異様なハイ・テンションで突き進むこの「ペインキラー」というアルバムは、まさにHR/HMの歴史に残る最強の1枚です。

―9曲目―

 このバンドのデビューは1988年。完全にノー・マークの存在でしたが、「BURRN!」に載っていた2作目のアルバム評を読んで俄然興味をひかれ、アルバムを買ってみたら、これが大当たり。とても刺激的な内容に、すっかりハマってしまいました。聴いてください。

 この曲は、1990年に発表されたエクストリーム2作目のアルバム「ポルノグラフィティ」のラストを飾る名曲で、シングルとしても全米6位の大ヒットを記録しました。
 エクストリームについては、自らが”ファンク・メタル”と名乗る通り、ファンクの要素を取り入れたHR/HMバンドということで、新しい刺激を求めていた僕は、俄然興味をそそられました。
ところが、この「ポルノグラフィティ」というアルバムを初めて聴いたとき、もちろんファンクの要素も新鮮で面白かったのですが、まず何よりも、そのヴァラエティに富んだ内容に驚き、さらに、全曲はずれなしの驚くべき楽曲の充実ぶりとアルバム全体の完成度に、一発でノックアウトされてしまいました。
 一種のコンセプト・アルバムとして構築された、この「ポルノグラフィティ」というテンションの高い作品の最後を締め括るのが、この「ホール・ハーテッド」という美しい曲です。
12弦アコースティック・ギターの美しい響き、明るくもそこはかとない哀愁を感じさせるカントリー調のメロディ、エクストリームの大きな魅力のひとつである美しいハーモニー……と、聴きどころ満載の名曲です。

―10曲目―

 このバンドのデビューは、スーパー・バンド誕生という感じでも紹介されていたので、最初は興味津々だったのですが、ラジオか何かで耳にしたデビュー・アルバムの曲がやたら地味で、拍子抜けしてしまい、その時はアルバムを買うのを見送りました。ところが、「BURRN!」に載っていた彼らの2作目のアルバム評がとても良かったので、つい衝動に駆られて、アルバムを買ってしまいました。
結果は、これが見事に大当たり。聴いてください。

 この曲は、1991年に発表されたMR. BIG2作目のアルバム「リーン・イントゥ・イット」に収録されている、彼らの代表曲のひとつです。当時、ギタリスト ポール・ギルバートがその作曲の才能を見事に開花させた名曲として、かなり話題になりました。
 僕はこの曲を聴くたびに、いつも胸がキュッと締め付けられ、懐かしさにも似た、言葉に出来ない甘く切ない感覚に、体中が包み込まれるのを感じます。これは、ロックとかポップスとかいうジャンルの垣根を越えた、普遍的な魅力を持った名曲だと思います。
 MR. BIGと言えば、1993年10月26日に昭和女子大学人見記念講堂で行われたライヴは、忘れることが出来ません。これが、音楽好きの妹と一緒に観に行った唯一のライヴでした。

* * *

-今回も最後までお付き合いいただき、どうもありがとうございました。
それでは、またお会いしましょう。See Ya!

ー第16回「サラリーマン時代 <第1期 ①>」プレイリストー

No.曲名
Song Title
アーティスト
Artist
1まるっきりパラダイス
Just Like Paradise
デヴィッド・リー・ロス
David Lee Roth
2ノーバディ・ウィアド・ライク・ミー
Nobody Weird Like Me
レッド・ホット・チリ・ペッパーズ
Red Hot Chili Peppers
3スウィート・リトル・シスター
Sweet Little Sister
スキッド・ロウ
Skid Row
4ニュー・シング
New Thing
イナフ・ズナフ
Enuff Z’Nuff
5ラヴ・イズ・シッカ―・ザン・ブラッド
Love Is Thicker Than Blood
マイケル・モンロー
Michael Monroe
6シー・ゴーズ・ダウン
She Goes Down
モトリー・クルー
Motley Crue
7ヤング・ラスト
Young Lust
エアロスミス
Aerosmith
8ペインキラー
Painkiller
ジューダス・プリースト
Judas Priest
9ホール・ハーテッド
Hole Hearted
エクストリーム
Extreme
1060’sマインド
Green-Tinted 60’s Mind
MR.BIG
Mr. Big

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