ボブ・ディランは突然に

 
 今日5月24日は、ボブ・ディランの83回目の誕生日。

 私との年齢差はちょうど四半世紀(25年)。私が生まれた1966年のボブ・ディランは、伝説のツアーを行い、名盤「ブロンド・オン・ブロンド」を発表、その直後に、これもまた伝説の英国ロイヤル・アルバート・ホール公演を行い、そして、7月のバイク事故をきっかけにしばしの隠遁生活に入る……と、激動というか大きな変化の真っ只中にあったとのことです。

 それにしても、まさか自分が、こんな風にボブ・ディランのことを語ろうとするなんて、想像もしていなかったけれど、このめでたい日の記念に、私とボブ・ディランの馴れ初めを書き記しておこうと思います。

 中2でロックに目覚めた頃から、ボブ・ディランの名前は、雑誌等でよく見かけて知っていました。当時抱いていたイメージは、定番の「フォークの神様」にはじまり、「風に吹かれて」や「ライク・ア・ローリング・ストーン」といった名曲(当時はまだ曲を聴いたこともなかったのですが……)の作者、多くのミュージシャンに影響を与えた偉大な人、ロックの歴史を語る上で欠かせない最重要人物…等々、まるで学校で教わる歴史上の偉人のようで、自分にはあまり縁のなさそうな、遠い存在のように感じていました。

 二十代後半。ジミ・ヘンドリックスやレッド・ホット・チリ・ペッパーズがカバーしたボブ・ディラン、ビートルズに影響を与えたボブ・ディラン、音楽・小説・アート等の作品に取り上げられるボブ・ディラン。一体、ボブ・ディランの何がそんなにすごいのか……勉強のためにも聴いておかなくては、と思い、まずは名盤と言われている「追憶のハイウェイ61」を買って聴いてみたのですが、今ひとつピンときません。他のアルバムやベスト盤も聴いてみたのですが、正直、退屈なだけで、何がいいのかまったく分かりません。その後も、少し時間を置いてから聴いてみたり、手を変え品を変え、何度も挑んでみましたが、毎回返り討ちにあり、その内、ボブ・ディランを聴くことは、ほとんどなくなってしまいました。

 三十代後半のある日、CDの整理をしていると、ボブ・ディランのアルバムが目に留まり、「もう聴くこともないだろうし、これ以上持っていても仕方ないから売ってしまおう」と決心。それでも、何の気なしに「売る前にもう一度だけ聴いておくか」と、会社へ向かうクルマの中でベスト盤を流していたときのこと、それは突然やってきたのです。

 ある曲が流れてきた瞬間、「えっ⁉ボブ・ディランって、こんないい曲あったんだっけ…!?」と、予想もしていなかった出来事に、頭の中はパニック状態。そして、「どうして今まで気がつかなかったんだろう…」とかなりのショックを受けました。
そのときに流れていた曲が「イフ・ノット・フォー・ユー」。そして、しばらく後に流れてきた「ジョーカーマン」がダメ押しでした。
素直に「おれ、もしかして……ボブ・ディラン、好きかも」と思う自分に気付いてしまったのです。

 「参ったなあ。ちゃんと聴き直さなきゃ……」と、その時点で持っていた数枚のアルバムを、あらためて1枚ずつ聴いてみました。すると驚いたことに、これまで何度聴いてもピンとこなかった有名な曲から、ほとんど印象に残っていなかった曲まで、そのどれもが、今までと聴こえ方がまったく違うのです。一体、何がどうしてこうなったのか、まったく見当がつかなかったのですが、一つだけ確かだったのは、「ボブ・ディラン」という存在が気になって仕方がないということ。
こうなると、もう手がつけられません。新作はもちろんのこと、過去のアルバムをコツコツと買い揃え、未発表曲を目当てにベスト盤や公式ブートレッグ・シリーズにも手を出し、ボブ・ディランに関する本を読みあさり、気が付けば「ボブ・ディラン」という底なし沼に、どっぷり両足がつかっていました。

 五十代も後半を迎えた現在でも、どうしてボブ・ディランにこれほど入れ込んでしまうのか、いまだに理由は分かりません。でも最近は、無理に分かろうとしなくても「分からない」ままでいいんじゃないか?「分からない」から面白いんじゃないか、それで正解のような気がしています。

 ボブ・ディランは、現在も「ネヴァー・エンディング・ツアー」という名の、終わらないライヴの旅を続け、終わらない歌を歌い続けています。
きっと私も同じように、「ボブ・ディラン」という名の、終わらない音楽の旅を、これからも続けていくのでしょう。

 Happy Birthday, Bob.

■■