嗚呼!! 中野サンプラザ


 海外アーティストのコンサートを滅多に観ることができない地方の洋楽好きにとって、多くの来日アーティストがコンサートを行う憧れの場所、雑誌等のコンサートレビューを読めば、必ずといって良いほどその名前が出てくる有名な場所、それが「中野サンプラザ」という存在だ。

 その「中野サンプラザ」が、ちょうど1年前の2023年7月2日、山下達郎さんのライブを最後に、50年の歴史に幕を下ろした。
 今さら?と思われるかもしれないが、昨年はこのサイトもまだ存在していなかったので、私が「中野サンプラザ」の思い出を語るタイミングとしては、あれからちょうど1年が経った今日しかないと思い、いまパソコンに向かっている。


 かれこれ40年前、大学進学で上京(正確には大学も下宿も埼玉……)した私が、生まれて初めてコンサートを体験した思い出の場所こそが、この「中野サンプラザ」なのだ。
 1984年6月28日、お互いキッスが大好きで意気投合した大学の友人K岡くんと、オジー・オズボーン「月に吠える」ツアーの来日公演初日を「中野サンプラザ」で観た。これが、私のコンサート初体験となる。
生まれて初めて見る大好きなアーティストの生の姿に、興奮・感激しっ放しで、あっという間にコンサートは終わってしまったような気がする。会場を出て、二人で興奮を語り合おうとするが、初めてロック・コンサートの大音量にさらされた耳は難聴状態で、お互いの言葉がよく聴き取れない……でも、そんな状況すら楽しくて、幸せな気分で帰路についた。
 「BURRN!」1984年11月号(創刊第2号)の9ページに、ステージ上で女のコを抱き上げているオジーの写真が掲載されているのだが、それは、まさにあの日、中野サンプラザで僕らが目にした光景だった。それまでは遠くで憧れているだけだったロックの世界に、少し足を踏み入れることが出来たような気がして、無性に嬉しかったのを覚えている。


 あらためて「中野サンプラザ」で観たコンサートの回数を数えてみたら通算で6回、と思っていたよりも少なくて驚いた。しかし、1984年6月のオジー・オズボーンから1985年7月のモトリー・クルーまで、約1年の間にそこで体験した濃密な時間は、まだ十代の私にとってかけがえのないものだ。

 それでは、数ある思い出の中から、「中野サンプラザ」ならでは(?)の忘れられないエピソードを2つほど。


 ひとつ目は、1984年10月22日、W.A.S.P.の初来日公演で体験した「謎の0列」。

 1984年、股間に丸ノコという衝撃的なビジュアル、極悪非道なバンド・イメージと、危険なタイトルのシングルを引っ提げて、センセーショナルなデビューを果たしたW.A.S.P.というアメリカのバンドが、早速来日することになった。私はチケットを取るため、発売日に受付開始と同時に電話をかけ始めたが、何度かけてもつながらない。1時間以上経って、ようやく電話がつながった時には、既にチケットは売り切れ……撃沈。
失意と未練を抱えたまま迎えたコンサート当日の朝、下宿の共同部屋で朝刊を読んでいると、「W.A.S.P. 当日券発売」との告知記事が目に留まった。「当日券って立見かな……?」と一瞬考えるも、「コンサートを観ることができるなら、立見でもいいや」と覚悟を決め、いざ「中野サンプラザ」へ。
 発売開始時間よりもかなり早く現地に到着したが、既に並んでいる人達の姿を目にして、慌てて列に並ぶ。何とか無事に当日券を買うことが出来、気になる座席番号を確認すると、「1階0列55番」とあった。覚悟はしていたので、「0列って列がないってことだから、やっぱり立見か」と、すんなり現実を受け入れていた。
 ようやく開場となり、会場に足を踏み入れるも、「立見ってどうすればいいんだ?」と戸惑いつつ、念のためと思い「座席図」を確認して驚いた。何と「0列」が存在したのだ。しかも、その場所というのが……。

- 後で分かったことだが、この「0列」は「移動席」といって、ミュージカル公演等の場合に座席を撤去してオーケストラBOXを設ける場所らしく、「中野サンプラザ」の場合は、ステージ真正面の4列分がそのスペースになっていた。「1列」よりも前なので「0列」というわけだ。

 ということで、私の席は実質的に前から3列目のとんでもなく良い席で、言うまでもなく、至近距離でW.A.S.P.の動く姿を拝みながら、ライブを堪能することが出来た。
 ステージから客席に投げ入れられたポスターは取れなかった(別の日だと思うが、西城秀樹さんはポスターを取ることが出来たらしい)が、その日着ていた白いシャツに、ブラッキー・ローレスがステージで撒き散らした血が付いていて……嬉しかった。しばらくは勿体なくて洗濯できなかったなぁ。

 
 もうひとつは、1985年4月14日、アイアン・メイデン「Power Slavery Tour」来日公演での出来事。

 会場に入り、席について開演を待っていると、1階席の通路をステージの方に向かって駆け下りていく一人の女性が視界に入り……その衝撃的な姿に目が釘付けになった。その女性は、何とウェディングドレスを身に纏っていたのだ。花嫁さんと思われるその女性は、ドレス姿のまま最前列に陣取り、アイアン・メイデンの登場を待っていた。
 「中野サンプラザ」は、コンサートホ-ルだけでなく、結婚式場・レストラン・ホテル等も併設する複合施設なので、きっとあの女性は、結婚式~披露宴を終えたそのままの格好で、ライヴ参戦のため、急いでホールに駆けつけたのだろう。
 滅多にお目にかかれない光景に、「何という強者だ」と感心すると同時に、「何だかいいものを見せてもらったなぁ」と、幸せをお裾分けしてもらったようなホッコリした気分になった。


 ところで、「中野サンプラザ」の跡地には、新たなランドマークとなる超高層複合施設ビルが建設され、エリア内には「中野サンプラザ」の約3倍の収容人数を誇る多目的ホールも出来るそうだ。
大きいことはいいことなのかもしれない。運営的にも、これ位のキャパシティがないと厳しいのかもしれない。でも、かつての「中野サンプラザ」のようなキャパシティ2000人位の会場って、アーティストと観客の距離感が丁度いいんだよね。惜しいなぁ。

 1年遅れてしまったけれど、「中野サンプラザ」よ、数々の忘れられない思い出をありがとう!

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