第13回「大学時代 ②」


 皆さん、こんにちは。「くのいち」ことクノテツヤです。

 さて、今回も引き続き、大学時代の音楽遍歴をお送りします。
 前回は、僕が大学時代に観に行ったライヴなどにまつわる曲をお送りしましたが、今回は特にテーマを設けず、大学時代に出会った思い出の曲の数々をお送りしていきたいと思います。

―1曲目―

 大学生当時、典型的な食わず嫌いで、パンクというものを敬遠していた僕ですが、このバンドのことは一発で気に入ってしまいました。聴いてください。

 この曲は、イギリスのバンド、ザ・トイ・ドールズが1982年のクリスマスに発売したシングルで、当時、イギリスのインディーズ・チャートの16位を記録しています。その後、1984年にこの曲を録音し直して再発売すると、テレビ番組のテーマ曲に使われたのをきっかけに、全英シングル・チャート4位という大ヒットを記録、ヨーロッパ各国でもヒットしました。

 このバンドとの出会いは、ヨーロッパにおける大ヒットが話題になっていた1984~85年頃だったと思うのですが、偶然テレビで目にした「ネリーさんだ象!」のPVでした。ほのぼのとした人懐っこいメロディ、抱腹絶倒のアレンジ、エキセントリックなルックス、コミカルなパフォーマンス……すべてが僕のツボにはまり、一発で虜(とりこ)になりました。ちなみにこの曲、元は50年代のイングランド民謡だそうです。
 そして、たまらず手に入れた彼らのデビュー・アルバム「ディグ・ザット・グルーヴ・ベイビー」(調べたところ、国内盤は1985年1月発売とあったので、自分の記憶と大体辻褄があっていてひと安心……)ですが、これまた想像をはるかに超えた素晴らしい内容で、完全にノックアウトされました。
性急なパンク・ビートにのって、人を食ったようなコミカルなヴォーカルとタイトな演奏で一気に駆け抜ける、弾けまくりの痛快なアルバムですが、同時に、イギリスらしいユーモアを感じさせる歌の内容にニヤリとさせられたり、また、後々のシーンを席巻する「エモ」とか「メロコア」の原点を思わせる、おセンチ度が半端ないメロディに思わずグッときたり……と、今でも聴くたびにドキドキ・ワクワクする大好きなアルバムです。
 ちなみに、ザ・トイ・ドールズは今も現役で活動中です。すごい……。

―2曲目―

 自分の大好きなバンドのメンバー・チェンジというのは悲しいものです。しかも、それがフロントマンであるヴォーカリストの交代となると、バンドのイメージがガラッと変わる可能性があり、果たしてそれが吉と出るか凶と出るか……ファンとしては不安でたまりません。
 僕の大好きなこのバンドは、絶頂期と思われていた時期のヴォーカリスト交代にも関わらず、その後、さらなる大成功を収めました。聴いてください。

 この曲は、ヴォーカルにサミー・ヘイガーを迎えた新生ヴァン・ヘイレンが、1986年に発表した7作目のアルバム「5150」からのファースト・シングルです。
 この曲を初めてラジオで聴いたとき、不思議と違和感はなく、「あ~、こうなったのかぁ」とすんなり受け入れることが出来ました。インタビュー等でメンバーが言っていた通り、たしかに音楽的には一段レベルアップした感じで、文句なしの完成度を誇る、理想的なアメリカン・ハード・ロックの形がそこにはありました。
 正に生まれ変わったという表現がぴったりの新生ヴァン・ヘイレンの姿は、デイヴ時代に強い思い入れのある身にとって、少し寂しくもありましたが、圧倒的なクオリティを見せつけられたお陰で、かえって新生ヴァン・ヘイレンは、完全にデイヴ時代とは別物のバンドなんだと受け止めることが出来て、素直に好きになれたのだと思います。
 とにかく、この「5150」というアルバムは掛け値なしの傑作で、やはり傑作だった前作「1984」に負けないくらい聴きまくりました。

―3曲目―

 初めての出会いが最悪な相手ほど、何かのきっかけで一旦距離が縮まると、とんでもなく親しい間柄になったり、場合によっては一生を通じた付き合いになったりするものです。
 このミュージシャンのことは、今でこそ「僕の大好きな……」と臆面もなく言っていますが、とにかく第一印象が最悪で、「生理的に受け付けない」とまで言って、バッサリ切り捨てていました。
ところが、この曲がそんな状況を180度ひっくり返してくれたのです。聴いてください。

 この曲は、1985年にプリンス&ザ・レヴォリューションが発表したアルバム「アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ」からのファースト・シングルです。
 僕は、大ヒットした前作「パープル・レイン」で初めてプリンスを知ったのですが、最初、どうしてもプリンスに馴染むことが出来ませんでした。
理由は、まず何と言っても、あの見た目のヌメッとした感じが気持ち悪い……。そして、初めて聴いた「ビートに抱かれて(原題:”When Doves Cry”)」という曲の無機質なビートとチープな音色がどうしても受け入れられなかったのです。
 そんな僕にとって、この「ラズベリー・ベレー」は衝撃的でした。
サイケで、ポップで、過激で、美しくて……僕の大好きな要素に満ち溢れたこの曲に、初めて聴いたときからすっかり魅せられてしまいました。そして、何よりショックだったのは、これがプリンスの曲だということでした。
 プリンスのことが気になって仕方がない僕は、貸しレコード屋さんでアルバム「アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ」を借りて聴いてみたのですが、その万華鏡のようにカラフルで、アバンギャルドな音世界に更なる衝撃を受け、もはやプリンスの前にひれ伏す以外ありませんでした……。

―4曲目―

 この時期、洋楽ばかり聴いていた僕は、自らすすんで日本のバンド/アーティストを聴くことはほとんどなく、ましてや、レコードを買うことなど、まずありませんでした。そんな僕が、日本のロック・バンドのアルバムを買うという珍しいことがありました。聴いてください。

 この曲は、1985年にレベッカが発表した4作目のアルバム「レベッカⅣ ~ メイビー・トゥモロー」からの先行シングルです。この曲の大ヒットが、レベッカの名前を一躍お茶の間に広めることになりました。そういう僕も、この曲で初めてレベッカの存在を知りました。
 レベッカといえば、この時代のガールズの代弁者として、彼女たちが胸に抱えている想いを鮮やかに描き出し、絶大な支持を集めていましたが、同時に、僕のような野郎の心にもビリビリ響いてくる、最高にいかしたロック・バンドでした。聞くところによれば、女性ファンが急増したのは「フレンズ」の大ヒット以降で、特に初期は男性ファンの割合がかなり高かったらしいのですが、それもうなずける話です。
 最初は「フレンズ」目当てで買ったアルバム「レベッカⅣ ~ メイビー・トゥモロー」でしたが、胸をキュッとしめつけるような魅力的な曲がズラッと並んだ、その奇跡的な内容の充実ぶりにすっかり参ってしまい、夢中で聴きまくりました。

―5曲目―

 大学時代を語るうえで、絶対に欠かすことの出来ないひとりの日本人ミュージシャンがいます。聴いてください。

 これは、1982年に発表された浜田省吾さん8作目のアルバム「PROMISED LAND ~ 約束の地」に収録されている曲です。
 大学時代、同じクラスの友達(ひとりはオジー・オズボーンを一緒に観に行ったドラマーのK岡君、もうひとりが混声合唱をやっていたバック・コーラスのS藤君)が学園祭で浜田省吾のコピー・バンドをやるということで、僕も素人ながらバック・コーラスでバンドに参加させてもらうことになり、それがキッカケで浜田省吾を聴くようになりました。
 バンドのレパートリーの中では、もちろん「MONEY」や「東京」といったメジャーな曲も好きでしたが、この不思議なタイトルの曲がとても印象に残っています。曲調とは裏腹な、かなりヘヴィーで危険な内容の歌です。誰かにとられるくらいなら……演歌からHR/HMまで、あらゆるジャンルにおいて、洋の東西を問わず、時代を超えて、多くの人が取り上げてきたテーマです。
 しばらく前に、この曲のことをふと思い出したら、無性に聴きたくなってしまい、それまで持っていなかったアルバム「PROMISED LAND ~ 約束の地」をつい買ってしまいました……。

 このバンドで一緒にバック・コーラスをやったS藤君は、ヴォーカルのI渡君と高校時代からの親友で、二人とも無類の浜田省吾ファンでした。このバンドをきっかけに、グッと距離が縮まったこの二人との付き合いは、大学時代はもとより卒業後も続いて、現在に至っています。
 このバンドに参加したことは、僕にとって、浜田省吾さんの音楽と出会ったこと以上に、かけがえのない友人を得るきっかけとなった、人生における大きな出来事でした。

―6曲目―

 MTV全盛の煌(きら)びやかな80年代の音楽シーン、そんな時代を象徴する女性アーティストがいます。最初はちょっと苦手なキャラクターでしたが……。聴いてください。

 この曲は、1984年にマドンナが発表した2作目のアルバム「ライク・ア・ヴァージン」からのセカンド・シングルです。ファースト・シングルは大ヒットしたタイトル曲「ライク・ア・ヴァージン」ですが、当時は、あまりにもセンセーショナルな盛り上がり方と、PVのあからさまなイメージが鼻について、この曲にも今ひとつ馴染むことが出来ませんでした。
ところが、続くシングルの「マテリアル・ガール」は初めて聴いたときから、すっかりお気に入りの曲となりました。いまだに、マドンナといえば「マテリアル・ガール」というくらい、僕にとっては極めつけの1曲です。

 ところで、僕はこの曲の印象的なキーボード(多分……)のフレーズと音色がたまらなく好きなのですが、最近お気に入りだったサブリナ・カーペンタ―の「エスプレッソ」という曲のコーラス部分で、バックに流れる、短いけれども印象的なキーボード(だと思う……)のフレーズと音色に、同じようなキュートさと懐かしさを感じて、ドキッとしました。

―7曲目―

 表向きは硬派なハード・ロック野郎を気取りながらも、実は、女子に圧倒的な人気があった男性アイドル・デュオのことを、デビュー当時から気に入っていました。聴いてください。

 この曲は、ワム!が1984年に発表したセカンド・アルバム「メイク・イット・ビッグ」からシングル・カットされ大ヒットした曲です。
 元々お気に入りだったこの曲ですが、何と言っても、当時大好きだったニッポン放送のラジオ番組「TOKYOベストヒット」のオープニング曲として使われていたこともあり、思い入れの強い1曲です。今でも、この曲のイントロを聴くと、条件反射的に「TOKYOベストヒット」のことが頭に浮かびます。
この「TOKYOベストヒット」という番組は、日本のメタル・ゴッドこと音楽評論家の伊藤政則さんがパーソナリティーを務めていたので、HR/HM好きの僕は、毎週欠かさず聴いていました。

 「TOKYOベストヒット」で忘れられないのは、1985年2月に行われた番組の一大イベント「42.195時間マラソンDJ」にスタジオで参加できたことです。最終日の途中のワンブロックだけは、抽選が当たらず、スタジオでの参加が出来なかったのですが、それ以外は、番組のスタートからゴールまでの42.195時間、一睡もせずにスタジオでの時間を共有したあの貴重な体験は、忘れられない一生の思い出となっています。

―8曲目―

 キーボードは難しい楽器です。音色ひとつで、その曲の輝きを一段も二段も引き上げることも出来れば、聴くに堪えないほど安っぽく陳腐なものに引きずり下ろすことも出来る。僕は、80年代の音楽にはびこっていた、ピャーピャーと鳴り響く安っぽいキーボードの音がとても苦手で、以来、キーボードにはつい警戒する癖がついてしまいました。
 1984年、中心人物がキーボーディストで、キーボードを主体としたハード・ロック・バンドがデビューしました。そんな彼らのデビュー曲です。聴いてください。

 この曲は、1984年に発表されたジェフリアのデビュー・アルバム「美伝説(原題:Giuffria)」からシングル・カットされて、全米チャート15位という大ヒットを記録しました。
 このバンドは、70年代後半に活躍したアメリカの美形ハード・ロック・バンド「エンジェル」のキーボード奏者グレッグ・ジェフリアが結成したバンドです。
何の企画だったか忘れてしまいましたが、ジェフリアの来日公演チケット・プレゼントが当たり、1985年6月26日の中野サンプラザ公演を観に行きました。
 この曲については、大好きな曲だということ以上に、さっき話の出たTOKYOベストヒット「42.195時間マラソンDJ」のスタジオで行われたイントロ当てクイズで、この「コール・トゥ・ザ・ハート」を最初のキーボードの音一発で当てた、そんな思い出もあって、忘れられない1曲なのです。

 ジェフリアについては、この「コール・トゥ・ザ・ハート」が良すぎたせいか、他の曲がかすんでしまったような気がします。実際、アルバムも悪くはなかったけれど、何か物足りない感じがしました。残念ながら、その後はヒットに恵まれず、結局、アルバム2枚を残してジェフリアは解散してしまいました。それでも、この「コール・トゥ・ザ・ハート」の魅力は、あのときの思い出と共に、今も僕の中では決して色褪せないのです。

―9曲目―

 白いTシャツ、ジーンズ、革ジャン、そしてギター、この人には「青春」という言葉がよく似合います。聴いてください。

 この曲は、1984年に発表された4作目のアルバム「レックレス」からのセカンド・シングルです。
 僕が、このブライアン・アダムスというカナダ出身のロックンローラーと出会ったのは、ラジオで耳にした前作「カッツ・ライク・ア・ナイフ」からのシングル「ディス・タイム」でした。
彼の生み出す音楽のストレートなところに魅力を感じていた僕は、最初、ニュー・アルバムからのファースト・シングル「ラン・トゥ・ユー」をラジオで聴いたとき、ちょっと翳りのあるハードな曲調に少し戸惑い、好きになるまで時間が掛かってしまいました。一方、続くシングルが「サムバディ」で、そのミディアム・テンポのストレートな曲調は、はじめて聴いたときに一発で気に入り、アルバムを買うきっかけになりました。そして手に入れたアルバムを通して聴いたとき、先に僕が「ラン・トゥ・ユー」に感じた戸惑いは、ブライアン・アダムスの音楽的な飛躍によるものだと分かりました。
そこには、前作から格段にスケール・アップしたロックン・ローラーの姿がありました。
結局、この「レックレス」というアルバムは、6曲ものシングル・ヒットを生み出し、世界的にも大ヒットを記録、彼の代表作となっています。

 「青春」を「若さ」だけで決めつけることは出来ないけれど、「若さ」の中でしか感じることの出来ないものもある。そんなことを、ブライアン・アダムスを聴きながら、つい考えてしまいます。
 意味もなく叫んだり、あてもなく走り出したり、理由もなく泣けてきたり、柄にもなく人に優しくしたり、そんな訳の分からない衝動や揺れ動く感情に振り回されながら駆け抜けていく、あっという間の夢のような時間。向こう見ず(=「レックレス」)な「若さ」ゆえの泣き笑いの日々……二度と戻らない愛おしい瞬間が、このアルバムには詰まっています。

―10曲目―

 大学4年の夏休み、紆余曲折を経て、北海道ソロ・ツーリングを敢行。仙台から苫小牧に向かうフェリーの甲板で、空を見上げて、色々なことに想いを巡らせていたとき、この曲がずっと頭の中に流れていたことを、今でも覚えています。聴いてください。

 この曲は、ヴァン・ヘイレン加入後の1987年にサミー・ヘイガーが発表したソロ9作目のアルバム「ヘイガー・USA(原題:I Never Said Goodbye <リリース当時は “Sammy Hagar”>)」に収録されている壮大なナンバーです。
元々は、サミー・ヘイガーがヴァン・ヘイレンのために書いた曲らしいのですが、バンドが興味を示さなかったので、ソロで発表したとのこと。ところが、曲の素晴らしさに抗うことは出来なかったのか、その後のヴァン・ヘイレンのライヴにおいて、この曲を取り上げるようになりました。

 余談ですが、1995年の「バランス」ツアーにおける来日公演でも、ヴァン・ヘイレンはこの曲を演奏したそうです。僕は、このときの武道館公演に彼女(現在のカミさん)と一緒に行く予定だったのですが、仕事の都合で行けなくなってしまったのでした……悲しい。
あ~っ、ヴァン・ヘイレン・ヴァージョン、生で聴きたかったなあ……(涙)。

* * *

-今回も最後までお付き合いいただき、どうもありがとうございました。
それでは、またお会いしましょう。See Ya!

ー第13回「大学時代 ②」プレイリストー

No.曲名
Song Title
アーティスト
Artist
1ネリーさんだ象!
Nellie The Elephant
ザ・トイ・ドールズ
The Toy Dolls
2ホワイ・キャント・ディス・ビー・ラヴ
Why Can’t This Be Love
ヴァン・ヘイレン
Van Halen
3ラズベリー・ベレー
Raspberry Beret
プリンス
Prince
4フレンズ
Friends
レベッカ
Rebecca
5パーキングメーターに気をつけろ
Parking Meter
浜田省吾
Shogo Hamada
6マテリアル・ガール
Material Girl
マドンナ
Madonna
7フリーダム
Freedom
ワム!
Wham!
8コール・トゥ・ザ・ハート
Call To The Heart
ジェフリア
Giuffria
9サムバディ
Somebody
ブライアン・アダムス
Bryan Adams
10イーグルス・フライ
Eagles Fly
サミー・ヘイガー
Sammy Hagar

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