ルーティンこわい


 毎日の生活の中には、同じことを同じ手順で繰り返す動作がたくさんあります。
そのような決まった動作の繰り返しは「ルーティン」と呼ばれ、きっと多くの人がそうした習慣化した「日課」を持っているものと思います。

 例えば、毎朝、マンション1階の郵便受けまで、階段を使って朝刊を取りに行くのが私の「日課」です。その際、郵便受けのロックを解除するため、数ケタの暗証番号を押すのですが、これを毎朝繰り返す内、押す番号の位置と順番を体が覚えて、やがて、番号を思い出す必要がなくなり、郵便受けの前に立てば、条件反射のように指が自動的に暗証番号を押している、そんな状態になります。
これは一見、動作からムダが省かれてパフォーマンスが向上した、そんな良い状態に思えますが、実はその裏に思わぬ落とし穴が潜んでいます。

 先の私の例でいくと、暗証番号を押す直前、何かに気を取られたり、突発的な出来事に見舞われたりして、番号を押し間違えたとしたら、どうなるか……。
誰も見てないのに、「あれ?おかしいな?」なんて一人でブツブツ言いながら平静を装いながら、実は「今まで間違えたことなんて無かったのに……」と、相当なショックを受けています。
仕方なく、暗証番号を思い出そうとするのに、しばらく体の反応だけで番号を押していたので、記憶がなかなか浮かび上がってきません。そして、最悪なのは、散々頭をひねって絞り出した記憶がまったく役に立たなかった場合です。とてつもない敗北感・屈辱感・絶望感に打ちのめされます。

 これが、「ルーティン」が崩れたときに陥る「闇落ち」です。
こうなると、その日はもう何をやってもうまくいかないような気がします。

 「ルーティン」の怖いところは、成功や失敗の体験をキッカケに「ジンクス」や「験担ぎ」と結びつきやすいところです。
本当は、「ルーティン」化により、日々の決まった繰り返し動作を正確に効率良く行うことが出来るようになって、日々の生活全体をより良いものになるはずが、「ジンクス」や「験担ぎ」と結びつくことで、この関係性がひっくり返ってしまうことがあります。
それは、「ルーティン」に日々の生活全体を支配され、「ルーティン」が少しでも崩れるとすべてがダメになる、という強迫観念にとりつかれてしまった状態です。
 スポーツ選手の中には、万一パターンが崩れた時パフォーマンスに影響することを嫌い、「ルーティン」を設けないようにしている人もいるようです。もちろん、レベルは全然違いますが、その気持ちはよく分かります。

 そんな風に「ルーティン」に振り回される自分がたまらなく嫌で、そんな自分に疲れてしまい、そんな自分を変えたいと日々思いながら、また今日も、相変らず「ルーティン」を行っています。
「ルーティン、こわい」と言いながら……。

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